うるしのはなし あれこれ
または雑学
漆と蜂の巣 |
蜂の巣は木の枝や軒下に巣を作りますが、すずめ蜂などはかなり大きな巣になっています。巣の中には女王蜂や幼虫が暮らしている訳ですが、かなり重そうです。どの様に巣を付けているいるのでしょうか?うるしを接着剤として使っているのです。漆の接着力を利用しているのは人間だけではないようです。
|
うるしの日 |
11月13日は「うるしの日」です 別名「うるし寺」と呼ばれる虚空蔵法輪寺が京都にあり、毎年法要が行われています。五十五代文徳天皇の第一皇子である惟喬親王(これたかしんのう)が法輪寺にこもり祈願したところ、虚空蔵菩薩から漆器製造法を伝授されたと言われます。その満願の日が11月13日なのです。 |
うるしは薬? |
うるしは古くから中国では漢方薬として用いられ、血行促進・胃酸過多・虫下し等の効果があるとされ、現在でも漆掻きの人は山の中で漆を掻いている最中に腹痛を起こすと樹液を少量飲んで収まると言います。 現代でも漆掻きは医者や薬やなど無い山の中での孤独な作業なのです。 |
工房もの(作品) |
漆作家は学校を卒業するだけで、なれるわけではありません 伝統工芸の世界ですからそれなりの修行期間が必要です。その修行先は漆作家として活躍している工房へ行くのですが、基礎的なことから始め徐々に高度な技術を習得していきます。 当然、実技指導となります。お手本となる先生の作品をコピーして製作することもあります。ほとんど同じ様なものであっても作家のオリジナルではないので工房作品となるのです。もちろん作家ものより安価です。 |
日光 東照宮 |
1999年に、ユネスコの世界遺産に認定された日光ですが、その中でも東照宮の建物はほとんどが漆塗装がされています。 当然ながら外壁は直射日光に晒されています。紫外線が当たるため表面からどんどん劣化していきます。 ここには専従で建物の塗り替えをする人達がいます。一度には出来ません。少しづつ塗り替えを進めながら10年で一巡するペースで行われています。10年毎で塗り替えをしているのです。屋内での作業ではありませんから、温度や湿度は管理できません季節によってはほとんど乾かない時期もあるでしょう。文化遺産を護るのは大変な苦労があるのです。 |
漆刷毛 |
天然漆100%を前提とします。うるしは粘性(ネバリ)が強いために刷毛(ハケ)で塗ります。一般的な塗料ではスプレーガンを使用し、霧状に吹き付け塗装する方が手間が掛からずきれいに仕上がるため多用されています。溶剤で薄めれば粘性を下げることが出来るからです 漆も混ぜモノをして粘性を下げるとスプレーガンを使うことが出来ます。しかし乾燥のメカニズムが異なる物質が混入するためあまり良い方法とは言えません さて漆刷毛の材質です。 |
鎌倉彫 |
中国の伝統的な漆技法に堆朱(ついしゅ)と呼ばれる方法があります。 何十回も朱漆を塗り重ねて厚い層を作り、そこに彫刻を施すものです。国内でも各地に産地があります。 彫れるほど厚く塗るのですからかなりの日数が必要になります。これは平らな木地の上に塗り重ねていくものです。 その昔この技法を中国から持ち帰り堆朱が日本でも始まったと考えられています。そこで日本的な合理化精神で、始めから彫った木地に漆を塗ればもっと簡単に作れるのでは、と始められたのが「鎌倉彫」と言われています。 |
蝋燭(ろうそく) |
古くはろうそくの原料として漆の木が植えられていたことは述べました。漆の実から木蝋(もくろう)を採るためです。
一般の人々も灯具(とうぐ)として蝋燭を使っていたのでしょうか 現代とは大きく違い、紙や蝋燭は大変高価なもので簡単に手に入らなかったのです 囲炉裏の焚き木で明かりを代用していたのでしょうか。少し暗すぎます 油に芯を立てて、そこに火を灯していたのです。その油は植物から採取したものが多く、マタタビも含まれていた様です。 昔の怪談で化け猫が油をなめる話がありますが、その油はマタタビであったに違いありません。 |
金屏風(きんびょうぶ) |
灯具のはなしの続きです。 大名を始めとする裕福な層は、臭いや煤(すす)の出ない蝋燭を灯具としていました。 裕福とは言え高価な蝋燭を一時に大量に使って明るくすることはしなかったようです。 金屏風は漆で金箔を貼ったものですが、明かりの反射板としての機能であったと考えられます。そして全体が暗い中ですから、現代の明るい照明の下で見るほどギラギラした印象は無かったと思われます |
煤払い(すすはらい) |
まだ灯具のはなしの続きです。
一般の人々の家では油を焚いていたことは述べました。蝋燭と違い臭いと煤(すす)がかなり出ていた様です。精製技術が発達していたら純粋な油成分が抽出できて、臭いも煤も少なかったかも知れません。 炎で煤が舞い上げられ天井にその煤が溜まっていきます。普段の生活をしている部屋ですから頻繁に天井の掃除は出来ません。そこで部屋中に煤が舞っても好い時、大掃除の日にすす払いをしたわけです。 今では言葉だけが残ったと言えます。 |
漆器の輸出 |
明治時代の漆器輸出 古くはマリー・アントワネット蒔絵コレクションと呼ばれ60余点がベルサイユ宮殿やルーブル美術館などに収蔵されています。これは伊万里焼などと共にオランダの東印度会社が輸入したと言われます 明治時代の初期には、漆器の輸出が盛んに行われていました。20世紀初頭を飾るパリ万博にも日本の産品として展示がされ、話題となった様です これは私見による推論ですが、当時の明治政府は殖産振興を行っていましたが、武士階級が無くなり必需品であった刀も排刀令で需要が無くなりました。 政府の方針で刀を生業としていた刀鍛治は職を失うことになります。しかし刃物をつくる技術は包丁作りを始め活用できました。 刀と鞘は対のものです。ほとんどの鞘は漆塗りがされていました。漆職人も転職を余儀なくされたのですが技術を転用することが出来なかったのではないかと思われます そこで販路を海外に求め政府としても強力な応援体制で望んだのではないかと推察されます デュポンのライターに漆塗りされたものは現在でも高級品として広く知られています。このような歴史的背景からフランスに漆が根付いたのではないでしょうか |
(C) Copyright 2002 urushi Takahashi. All rights reserved |